# バニラビーンズの不眠 作業に集中していたせいか、誰かが近づいてくる足音に気づくことができなかった。ガラガラガラガラと、耳障りな音が教室中に響いた。いつもなら、みんなの話し声やいろんな音が交じり合ってこんなドアの開く音など気にも留めないのだが、今はそれがない。だからわたしは反射的に音のしたドアのほうへと視線を向けるのだ。するとそこには、真っ黒なスーツを着こなしたわたしのクラスの担任が仁王立ちでこちらを見ていた。担任の教師はわたしの顔を見るなり、「はあ」と大きなため息を吐いた。わたしはそれを見て、ムッとする。誰だって自分の顔を見られた瞬間、疲れたようにため息を吐かれたら怒りもするだろう。ムッとするだけでその怒りを抑えたわたしは、結構えらいと思う。それにそんな疲れた顔をしたら、せっかくのハンサムの顔が台無しだ。もちろん、わたしのクラスの担任の獄寺隼人先生が。 「、まだ残っていたのか」 「・・・悪いですか」 「悪くはない。だが、もうとっくに下校時刻が過ぎてるだろ」 「あ、ほんとだ」 「・・・・・」 はあ、全くお前は。とでも言うように、獄寺先生はもう一度大きなため息を吐いた。だから、人の顔を見てため息を吐くのは教師としてどうなんだ。そう言ってやりたかったが、先生の相手をしていると文化祭の準備が完全に遅れてしまうので、あえて無視することにした。まあ、獄寺先生は案の定わたしの真ん前に来て「今すぐ帰れ」と命令口調で言うのだが。それも無視するのが、このわたしだ。別に無視することなんてないのだろうけど、先生はいちいち命令口調でものを言うから、ついつい反抗したくなってしまうのだ。こういうところ、まだまだ子供だなあと自分でもわかってはいるんだけど、そうそう直らない。外見を変えるのは簡単だけど、中身まで変えようと思うとわたしにはもう少し時間が必要みたいだ。わたしが作業に没頭している間に、しびれを切らした獄寺先生が「!」と大きな声を出した。ああ、とうとう怒らせてしまったか。少し、焦った自分がいた。 「もう暗いから、帰るぞ」 「・・・だって、まだできてないんですもん」 「それならまた明日やりゃいいだろう」 「そうはいきません。わたしの班の子達は、非協力的なんです。だから、わたしがやらないと」 「だったら明日、俺も手伝う」 「え?でも、先生は忙しいでしょう。イロイロと」 「なんでそこだけ強調するんだ、お前は」 はあ、とまたわたしの頭上で誰かがため息を吐いた。誰か、と言ってもこの教室にはわたしと獄寺先生しかいないので、必然的にその「誰か」は獄寺先生のことを指すのだが。まあ、先生がわたしのことを呆れているのか、それとも馬鹿にしているのか、どちらでも構いやしないのだが、この短期間の間に3度もため息を吐かれてしまったわたしの身にもなってほしいとこのイケメン教師に問うてみたいと思う。これがもし、毛むくじゃらの陰湿教師だったらそんなことも思わないのだろうが(この場合、違う意味で悲しくなる)。でも、実際わたしの目の前にいるのは、毛むくじゃらの教師でもなく、陰湿なロリコン教師でもない、超ハンサムなみんなのアイドル獄寺隼人先生なのだ。わたしもみんな波に乗って「獄寺先生ラブー!」なんてことはこれっぽちも思っていないが、少し、うん、ほんの少ししゅんとする。もしこれが、教頭とか校長だったらわけないんだけど。 「とにかく、今日はもう帰る。んで、明日は俺もお前の班の準備を手伝う。いいな」 「あー・・・はい。よろしくお願いします、獄寺先生」 「よろしい」 ペコっと頭を下げると、わたしの頭に大きな手がふんわりと乗った。見上げてみると、いつも仏頂面のあの獄寺先生がやんわりと微笑んでいた。うわー、初めて見る笑ったところ。・・・なんて、冷静な感想述べている暇もなく、わたしの心臓が大きな音を立てて、これまでにないくらいの速さで動き出した。一瞬、ほんの一瞬だけど先生の笑顔を見た瞬間、わたしの心臓が一旦停止したような気がする。いや、そんなことがあってはわたしは当に三途の川を渡って、天国へとおさらばしているのだろうが。でも、それくらい威力があったと認める。獄寺先生は、わたしの想像を超えたすごい人なのかもしれない。今日の教訓だ。 「で、では、先生。わ、わたしは、これにておさらば致します」 「あ、おい」 「な、なんですか」 「仮にも若い女子高校生を一人この夜道を歩かせるわけにはいかない。送ってやる」 「・・・先生、『仮に』は余計だと思うんですが」 ああ、そうだな。そう言うと、また少し頬を吊り上げて優しく笑う。今日、2度目の笑顔を見てしまったわたしは、獄寺先生の顔を直視することができず、鳴り止まない鼓動と共にこの教室を去った。・・・ああ、今日は眠れそうにない。 ( title by 金星 ) Fin. |