# 追求したパーパスの不自由


 大将の通りの良い声で「今日はもう上がんな!」との合図が出たので、わたしはすみやかに着ていたエプロンをロッカーの中にしまい込んで、大将に一言言ってから裏口から外へ出た。扉を開けた瞬間、ひんやりと冷たい風がわたしの鼻をかすめて、身体の奥底からブルッと全身を震え上がらせた。近頃日が沈むのが早くなったし、一段と寒さも増した。別に冬は嫌いなわけじゃないけど、こうも急に来られてしまうとわたしだって戸惑う。今日だってこんなに冷え込むなんてこと聞いていなかったから、マフラーもしていなければ手袋も持っていない。完全に出遅れてしまった。寒さにかじかむ手を擦りよせて、はあはあと息を吹き込む。それでも、やっぱり寒いのにはかわりない。
 早く家に帰って、コタツの中で丸くなろう。そう心に決めて、やっと足を動かし始めた。びゅうびゅう風がわたしの横を通り抜けていくのを感じて、ちょうど曲がり角に差し掛かったとき、わたしは少しの違和感を覚えた。暗くてよく見えないのだが、確かに誰かが暗闇の中堂々と道の真ん中に突っ立っているのだ。わたしの頭の中に嫌な単語が次から次へと思い浮かんだが、別段気にせずその人の横を通り過ぎようとした。だがしかし、それは結局出来ずに終わってしまった。なぜなら、その暗闇の中に一人たたずむ何者かに腕を思いっきり引っ張られたからだ。予想外の展開にわたしは一瞬言葉を失う。


「は、はなせ、っ!」
、僕です落ち着いてください」


 暗くてよく顔が見えなかったが確かに男の声がした。どこかで聞いたことのある、馴染みの声であった。「は、はあ?」でも、中々その声の主が思い出せなくて、思わず間抜けな声を出してしまい、相手をクスッと笑わせてしまった。いや、正確には「クフフっと」だが。「僕です。六道骸ですよ」その男は、鼻で笑ったあと自ら名を名乗りわたしを安心させようとしたのだろうが、それが全くの逆効果でわたしはその名前を聞いた瞬間全身が逆立つような妙な感覚に襲われた。きっと、たぶんわたしの第六感が「逃げろ!」と危険信号を出したのだと思う。この男は、危険すぎる。


「余計はなせっ!セクシャルハラスメントで訴えるぞこの!」
「何を勘違いしてるんです?ただ僕はあなたを引き寄せただけじゃないですか」
「それも立派なセクハラだっつうの!」
「違いますよ。セクシャルハラスメントというものは・・・」


 こうするんですよ、と耳元で囁いた男はわたしの腕を掴んでいないもう一方の腕で、わたしの腰を引き寄せた。その行動に声にならない叫びが身体中を駆け巡る。誰か、このどうしようもない変態を捕まえてくれ!そして、できれば逮捕してくれ!大きな声で、叫ぶ。もちろん、心の中で。だが、わたしたち以外には誰もいないようで怖いくらい周りは静かだった。嫌な汗が全身から吹き出して、お腹回りがぞわぞわと動いているのを感じたわたしは、いい加減コイツの行動に殺意を覚えた。勢いよく相手の顎目掛けて頭突きを食らわすと、男は怯んで一瞬腕の力を弱めた。その隙にわたしはなんなく男から解放されて、先ほどまで逆立っていた鳥肌はスッと何事もなかったように消えた。


「さすがです・・・。まさか頭突きで来るとは思いもしませんでしたよ」
「てゆうか、お前いっぺん死ねばいーよ。地獄に落ちればいーよ」
「あなたが望むなら、一緒にいきましょうか。地の果てへ」


 クサイことを平然と言ってのける六道骸にとても吐き気がした。このまま言い合いしていても拉致があかない。そう思ったわたしは六道骸を無視して、真っ暗な道をてくてくと歩き出す。後方から、「待ってください!」なにか声が聞こえたような気もしたけど、とりあえず無視という決定事項をもとにわたしは振り返ることなく無心に歩き続ける。これ以上めんどうなことに巻き込まれたくない。急いで帰ってコタツの中でみかん食って丸くなるんだ。そうしたいんだ。お願いだから、そうさせてくれよ六道骸め。


「折角運命的な巡り合わせをしたんですから、責任を持ってあなたを家まで送ります」
「いえ、結構です。付いてこないでください」
「なぜです?僕ならあなたのかじかむ手を温めることくらいならできます」
「遠まわしに、手を繋ぎたいって言っているようにしか聞こえない」
「では、さっきみたいに全身を・・・」
「却下」


 こんな奴と漫才を続けている暇などない。しかし、六道骸が必要以上にしつこいのだ。ガムテープよりもはるかに粘着度が高くて、接着剤のように纏わりついて放れない。寒さで足も手も耳も感覚がないっていうのに、こんの男は・・・。わざとらしくため息をつくと、六道骸がわたしの顔を覗き込んで「もしや悩み事でも?」とわけのわからないことをほざきやがった。びっくりするくらい、馬鹿で天然だ。そんな六道骸にうんざりして、もう一度ため息をついた。今回のはわざとじゃなく、無意識のうちに。


「てかさアンタ、なんであんなところにいるわけ」
「あ、ああ。それはストーキング・・・いや、単なる町内探検ですよ」
「ごめん、今思いっきし本命言ったよね。もうわかったからいいよ」
は何か誤解をしているようですね。僕はただのそばに昼夜問わず居たいだけなんです。ただ、それだけなんですよ・・・」


 開き直ったのか、はたまた誤解を解こうとしたのかはよくわからなかったけど、やっぱりコイツは馬鹿なんだってことがだんだん明確になってきた。まあ、わたしとやらしいことがしたいわけでもなさそうなので(いや、はじめは思いっきしセクハラしかけてきたけどね)、このまま六道骸を放置しようと思う。なんとなく、この人があそこで何をしていたかわたしにはなんだかわかった気がしたから(でも、5メートルくらい離れて歩いてもらうけど、ね)。



( title by 金星 ) Fin.