# パンドラの箱は開け放たれた


 わたし、サンクルミエール学園に通う中学2年生だ。成績は、せいぜいがんばっても中の下。運動もそれほどできるというわけでもなく、特別絵がうまいとか特別歌唱力に長けているとか、そんなありふれた特技ももっていない。どこにでもいるような普通な子よりも、もっと地味で静かな中学生。同じクラスの夏木りんちゃんという子のように、優れた運動神経を持ち供えていれば、わたしの人生180度は変わっていただろうに。でも、あいにくそんなどでかい才能はわたしの中に存在していない。こんな現実をどんとわたしの前に突きつけられると、悲しいというか、虚しいというか、なんと言って表現したらいいのかわからないような、この虚無感に襲われる。からっぽな感覚。わたしはずっとこんな感情をどこかで抱きながら生活を送っている。自分でも認めたくないけれど、もしかしてわたしという人間は「根暗」なのかもしれない。





 新米教師の小々田せんせいに名前を呼ばれて、ハッと我にかえった。そうだ、今は授業中だった。あわてて返事をしてせんせいの元へ歩み寄れば、白い紙切れをひょいと前に突き出された。その紙切れを素直に受け取るとわたしはそれを見て、思い切り肩を落とし落胆した。この前の中間テストがまた、赤点だったらしい。はあ、と周りの人には聞こえないくらいの声でため息をついた。わたしの前の席や後ろの席では、みんながやがや騒いでいてみんな笑顔で「ぜんぜん悪かったよー」なんてことをケラケラ笑いながら言い合っている。そして、「わたしもぜんぜん駄目だったよー」なんていうやり取りが聞こえて腹立った。こんなことをいう奴らは大抵いい点を取っているんだ!と逆切れしたかのように、とても苛立った。こんな自分が惨めで仕方なかったが、どうすることもできなかった。きっと、赤点なんてわたし以外いないんだろうなとぼんやりと窓を見つめながら思った。


「赤点は、誰一人いなかったよ。みんなよくがんばったね」


 窓を見つめていたわたしが思わず聞き流しそうになった一言。「赤点は誰一人もいない?」そんな馬鹿な。だって見てみろこのわたしのひどい点数を。そう言って思わず立ち上がりそうになった。周りでは、「よかったねー」なんていう会話をしている子達がいる。よくないよ!とまたもや突っ込みそうになったが、ぎりぎりのところで抑えた。いったい小々田せんせいが何を考えて言っているのか、よくわからなかった。もしかして、わたしという存在を忘れてしまっている?のかなとも思った。そう思い込めば思い込むほど、どんどん惨めになってわたしは目の前にある紙切れをくしゅっと握りつぶしてかばんの中へ勢いよく放り込んだ。かなり、へこんだ。



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 授業も一通り終わり、ホームルームが終わった5分後くらいに小々田せんせいから呼び出しの連絡が入った。なんなのだろうと思って、耳を傾け内容を聞いていると小々田せんせいはこう言った。「さんと夢原のぞみさんは、そのまま教室に残って待機してください」と。小々田せんせいの用件はわかりきっていたが、あえて知らないふりをした。せんせいがわたしのことを忘れてないってわかって、少しうれしかった。


「はあ〜絶対今日のテストのことだよぉ〜」


 いつのまにか隣に来ていた夢原のぞみちゃんがしょぼんとした表情で言った。赤点はわたしだけじゃなかったんだ、と不覚にも喜んでしまったことは、大変申し訳なかったけれどちょっぴり安心した。わたしだけじゃなかったんだね、って。不覚ながらも、安堵してしまったのだ。ふふっと口元を緩めて笑うと、のぞみちゃんもつられたようにふふっと微笑み返してくれる。そして、「小々田せんせい、遅いね」と独り言のように呟いた。「そうだね」って、相槌を打つかのように答えると二人の会話はそこで途切れた。小々田せんせいが来るまで、長い沈黙が続くのかなと心の中で焦りを感じていたけれど、隣にべたりと座っていたのぞみちゃんが何かをハッと思い出したかのように「あああ!」と言って立ち上がった。


「ど、どうしたの」
「りんちゃん!あのブローチ置きっぱなしにしてるっ!わたし、ちょっとりんちゃんに届けてくるね!」


 なんとも素早い行動に感心をした反面、逃げたなという疑惑ももった。けれど、のぞみちゃんならまたすぐ戻ってくると、なんとなく分かってしまったからわたしは少し笑みを浮かべながら「いってらっしゃい」ともう誰もいない教室でポツリ、一言呟いた。もう一度、席に座りなおしてから頬に手をあてていつものように窓越しにいろんなものを見た。ぼんやり何も考えないで窓の外を見ていると、後ろから「」と呼びかけられた。どうやら、やっとお目当ての人物がやってきたようだった。


待たせて悪かったな」
「あ、いえ。別に大丈夫です。それより夢原さんなんですが、」
「ああ、大丈夫。ここへ来るとき、夢原に聞いたから」
「そう、ですか」


 知ってたんですね、口には出さなかったけれど、心のなかでぼそりと呟いた。小々田先生は、持っていたプリントをわたしの前に差し出し、静かに口を開いた。「の克服プリント」そう言って、ふっと綺麗にわらった。その顔を見た瞬間、一瞬時間が止まったみたいにわたしの体がピクリとも動かなくなった。噂には聞いていたが、これが「悩殺☆小々田スマイル」なのか。回転の悪い頭の中で、ぼんやりと考えた。今更だけれど、小々田せんせいってかっこよかったんだ、って素直に思った。少しずつ、ほんの少しずつだけれどじわじわと奥のほうから体温が上がっていくのを感じた。ドキドキ、ドクドク、心臓が血液が早く動いて流れる。わたし、おかしいかも、しれない。(今まで考えたことなかった)(ドキドキ、する)


は、ちゃんと授業も聞いてるし勉強も人一倍やってるよ」
「・・・」
「それがまだ結果に表れてないだけで、落ち込むことじゃない」
「・・・はい」
「俺なりにの苦手な部分をプリントにまとめてみたから、よかったら使ってみて」
「は、はい。ありがとうございます」
は、やればできるよ」


 もう一度わらった小々田せんせいの顔が、頭のなかにインプットされて当分は忘れることができないだろうと悟った。小々田せんせいは予想以上にかっこ良い方なのだと、再認識させられたみたいで、少し悔しかった。



( title by 金星 ) Fin.