空も飛べない人魚



「ねえ、瑛くん。今年はいつ手伝いに行けばいい?」

 一歩後ろにのろのろと歩いているが突拍子もなく、そんなことを口にした。俺は、イマイチなんのことだか分からず、「ハァ?」と間抜けな声を出し、立ち止まって後ろを振り返る。すると、は苦笑いを浮かべて、「ほら、去年突然電話してきたじゃない。店の手伝いのことで。もう、忘れちゃったの?」と、短い髪の毛を潮風になびかせながら呟いた。
 ああ、そんなこともあったな・・・。遠い昔の出来事ように、去年の夏休みを思い出して、俺は「ああ」と喉を唸らせた。あのときは、とにかく忙しくて、予定が絶対あいてそうなコイツに手伝いを頼んだんだっけ。
 やっとのことでの質問の意味が分かり、俺は「まあ、またそんときは連絡いれるから」と告げると、また前を見てすたすたと歩き出す。慌ててペンギンのように、後からよちよちとついて来るがなんとも可愛らしくて、つい口が滑ってしまいそうになったけど、寸前のところで食い止めた。危ない、危ない、とに聞こえないように小さく呟いて、俺はほんの少し歩くスペースを落とした。


「ねえ、ねえ。やっぱり、今年もアレ、するんだよね?」


 相変わらず俺との距離は縮まらないまま(こんだけ、スピードダウンしてるっていうのに!)後ろをのろのろ歩くに、イライラして鈍間!と叫んでしまいそうになった衝動を必死に抑えて、俺はふうと息を吐いてから「今度はなに」と問いかけた。の話には、いつも必要不可欠である主語がない。何度も何度も「会話の際には文頭に主語をつけるように」と注意しておいたはずなんだけど、やっぱりと言うべきか、できていない。
 はどうしてわかってくれないのとでも言いたそうに「ほら、水着だよ!水着!」と声を荒げた。わかってほしいなら、ちゃんと主語つけろよ。なんて思っていたのに、の発言でそれも吹っ飛んだ。
 そうだった、そういえば去年はに水着着て(正確にはエプロンもしてたけど)、ウエイターしてもらってたんだっけ。ひょんなことから、色々なことがフラッシュバックして、俺は顔を歪める。水着・・・、の水着・・・。駄目だ、絶対に、駄目だ。


「水着ね、どうせ瑛くんのことだから、つべこべ言わずに着ろ!って言うに違いないって思って、もう新しいの用意しちゃった」
「ハア!?」


 のん気にえへへと笑う、がやけに憎たらしくて、思わず頬をぎゅっと引っ張った。「いひゃい、へりゅきゅん!いひゃい!」と涙を滲ませながら、俺の両手首を小さな手で掴む。俺は、ハアと深いため息をついてしょうがなく、の頬から手を放す。痛い痛いと言いながら、ほんのり紅くなった自分の頬を大事そうに擦りながら、「ひどいよ瑛くん!理不尽だ!」と声を張った。
 たしかに俺は去年コイツに店の手伝いを頼んで、『無理やり』という形でに水着を着させて、珊瑚礁の売り上げにとてつもない貢献をしてもらったんだけど。でも去年と今年じゃ、まるで状況が違う。違いすぎる。あんな格好で、コイツに接客をさせるのは二度と御免だ。(いや、俺がやれって言ったんだけどさ)


「ウルサイ。なんでお前はそう無駄なことばっか・・・」
「む、無駄って・・・どうして、わたし瑛くんと珊瑚礁のためを思ったのに!」
「あーもうだから、今年はナシ!水着とか、露出系一切禁止!!・・・手伝いは歓迎だけど」
「だって去年は『つべこべ言わずに着ろ!働け!話はそれからだ!』って言ってたのに!」


 不安の色を隠せずおどおどしているを尻目に、踵をひるがえして俺はすたすたと歩き出した。後ろから「ちょっと、瑛くん!」と走って追いかけてくるに追いつかれないように、俺は歩くスピードを速めた。まあ、当然追いつかれてはしまうんだけど。それでも、なんとかこの場をサラッと流しておきたかった。なにか、いけないことを口走ってしまう前に。


「もう!わけわかんないよ、瑛くん」
「俺もわけわかんないよ」
「どうしたの、瑛くん」


・・・・・どうしたもこうしたもない。お前のせいで、俺がどんどん格好悪いキャラになっていってるんだ。自分でも信じられないような、信じたくもないような自分に。
 「どうもしない」そう言って、プイッと顔を背けた。はあきらめたのか、しゅんとさせて俺の隣を静かに歩く。少し、傲慢だったかもしれないけど、それも仕方がない。少ししょんぼりしたの横顔を見て、そう思った。


 誰にも見せたくない。独り占めしたい。・・・・・なんて、口が裂けても言えない。