# センチメンタルに告ぐ エンジュシティの子どもたちにポケモンのことについて講義をするのはとても楽しい。だれもみな、自分の好きなもの、好きなことを他の誰かが知ってくれたらうれしいし、興味を示してくれたら「次はこうしよう」と次へ次へと思考を巡らせる。それは、僕だっておなじことだ。エンジュシティの子どもたちにポケモンの様々なこと、例えば育て方だとかしつけの仕方だとか戦い方だとか、エンジュの誇るホウオウや伝説のポケモンのことだとか。それについて教えるのは全く苦にならないし、むしろ喜びさえ感じる毎日だ。あの少年少女のきらきらとした希望に満ちた目は、とても力強く、僕を向上させる。毎日がいい刺激となる。きっと、あの希望に満ち溢れた少年少女たちは、将来のエンジュシティのジムリーダーを担える存在になるだろうと僕は感じている。 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。辺りを闇が支配し、時刻は午後9時を回ったところだ。もうここにはみんなの姿はなく、教室はシーンと静まり返っていた。さて、僕もそろそろ家に帰ろうか。そう思った途端だった。教室の扉がひっそりと開けられたのは。そうして、そこから出てきたのは僕より随分年下の女の子。という、妹のような存在である可愛らしい子だった。 どうしたんだい、こんな時間に。そう聞くと、彼女はゆっくりとした口調で「マツバさんにお願いがあるんです」と何やら神妙な顔つきで呟く。こんな時間に僕に頼みごとかい。そう聞く暇もなく、「ポケモン勝負をしましょう、マツバさん」と一言。僕はその言葉に呆気を取られた。 「だめですか、マツバさん」 彼女は不安そうに呟く。それが駄目だということはなかったけれど、なぜこんな時間にポケモン勝負なんだろう。少しばかり彼女の考えが理解できなかった。年がこう6つも7つも離れていれば、考えに相違が生まれるのも仕方がないことなのだろうけど、これはどうみても変だ。女の子が夜、突拍子もなく家を飛び出して言い出す発言とはかけ離れている気がする。でも、彼女はいつだって真剣に、そう、今みたいに瞳を輝かせて僕を見つめる。それはとてもうれしくて喜ばしいことだけど、時計の針は進むばかりで後退はしない。 「駄目じゃない、けど時間が時間だ。明日にしなさい」 「時間なら大丈夫。お母さんにはちゃんと言ってきたし、マツバさんならお母さんも安心だって言ってた」 随分と信用されているものだと、半ばため息交じりに思った。例え年が6つ7つ離れていたとしても、相手は17歳の女の子。列記とした異性だ。年がいくつ離れていようが、その辺はいくらなんでもカバーなどできない。別にをどうこうしようと思っているわけではないが・・・・・、さすが親子だ、と肩を落とした。親が親なら子も子、というわけなのだろう。相変わらず無防備だ。 「マツバさんだめですか。もし、マツバさんがわたしに勝ったらわたしなんでも言うこと聞きます」 「・・・まるで僕が負けるような言い方をするね」 「もちろんです。わたしは勝ちます。だから、」 わたしが勝ったらわたしの言うこと、なんでも聞いてください。彼女はそう言って、僕の腕を引っ張った。やれやれ、とため息を付きながら渋々彼女に応じると、は心底うれしそうに微笑む。こんな表情を突拍子もなくするから、僕は彼女に対してなにも言えなくなってしまうのだ。うれしそうなを前に、一人浮かない表情をして握られた手を見た。その手はとても暖かだった。 勝負内容は簡単だった。3対3のポケモンバトル。先に3体のポケモンを倒したほうが勝ちという、単純明快なルールだった。僕のポケモンはもちろんゴース、ゴースト、ゲンガーの3体。対するのポケモンは僕のゴーストタイプの相性を考えてか、あくタイプのポケモンを揃えてきた。きちんと僕の講義に参加しているだけあって、どのポケモンとどのポケモンが相性がいいのか、悪いのか理解しているようだった。そんな真剣な彼女の様子は、とても微笑ましいものだった。 でも、相性だけじゃ勝負には勝てない。勝利を勝ち取ったのは僕だった。本気で僕に勝てると思い込んでいたは、落胆を上手く隠すことができずに地面へ座り込んでしまった。そんな様子にまたもやれやれ、とため息交じりに呟いて彼女に近づいた。 「やっぱりマツバさんは強いです。わたしなんか全然歯が立たない」 座り込んで俯いてしまったは、さきほどとは違いまるで僕に負けて当たり前だと言っているように思えた。いつもと変わらぬ声色からして、それほど落ち込んではいないのかもしれないが、彼女のことだから真意はわからない。でも、少しばかり安堵したのは事実だった。 さきほど彼女が僕にしたようにの腕を引っ張ってあげると、彼女は驚いて俯いていた顔をパッと上げた。さあ、そろそろ帰ろうか。そう言うと、彼女はふるふると首を横に振るう。僕に勝つまで家に帰るつもりがないのか。はたまた他に別の理由があるのか。は一向にへたり込んだ腰を上げることはなかった。 「マツバさん、わたしにしてほしいこと、ないですか」 ああ、そのことか。彼女の質問に対して、僕はこう答えた。君が講義にこれからも来てくれればうれしい、と。すると彼女は、可愛らしい顔をムッとさせて納得がいかない様子で首を横に振るう。そういうのじゃなくって、もっと違うの。僕は僕なりの願いを言ったはずなんだけど、それは彼女にとっては却下に値するものだったらしい。それが意味するのは果たして僕にとって良い意味なのか、悪い意味なのか。考えるだけで、頭が痛くなる。 ないならわたしが決めます。最初から僕の願いなど受け入れるつもりがなかったかのように、切り出した彼女にまたもやれやれ、と首を振った。彼女はいつだって、そうだった。真剣で、一度決めたことは曲げない、実直な女の子だ(たまにとんでもなく突拍子なことも言うけどね)。そんな彼女は僕の瞳を捉えて逃がさない。へたり込んでいた腰をいとも簡単に起こして、真っ直ぐに僕を見据える。僕はその瞳に吸い込まれるかのようにただ立ち尽くした。 「もしもマツバさんに生涯を共にする女性が現れなかったら、わたしが─────────」 マツバさんのお嫁さんになっても、いいですか。普段とは違う上擦った声と真っ赤な頬に、思わず僕も伝染してしまうところであって、まさかこんな形で妹のように可愛がっていた女の子に想いを伝えられるとは思ってもみなかった。彼女の様子からして、おふざけでしているわけでは決してなく、いつもに増し真剣で緊張していることが僕にもひしひしと伝わってきた。 溶けていきそうな声で、だめですかと小さな口が言葉を紡ぐ。そんな風に君に言われると、僕は縦に首を振るうことはできなくて、揺れ動く気持ちを上手く隠せなかった。君はいつだってこうして、僕の心をいとも簡単に揺さぶるのだ。 「駄目じゃない・・・・・と思う」 僕の定まらない曖昧な言葉に君は心底うれしそうに、頬を鮮やかな色に染めて「そうですか」と弾んだ声で呟く。そんな君の様子に僕は居た堪れなくなって、思わず真っ赤に蒸気した君の頬に触れて、君のぬくもりを噛みしめながら、君の小さくて愛しい唇にそっと口付けを落とすのだった。 ( title by 指先 ) Fin. |