# アクアプールオムマリンに抱かれたい


 周りがまだ身支度を整えている中、一人素早くそれを成し遂げたわたしは、カバンのなかに明日提出しなければならないプリントがないことに気付いた。「げっ」と苦い声を出して、教室に忘れてきたことを知ると、一足先に部活仲間に別れを告げて、駆け足で教室に向かった。
 教室のドアは無防備にも開けられていて、誰かがまだいるのかと、そっと教室の中を覗き込んでみる。するとそこには、意外な人物が夕日の光に照らされながら、気持ちよさそうに眠っていた。よく沢田と山本と一緒にいる、獄寺隼人だ。帰国子女やら不良やらイケメンやらで、何かと騒がれていた獄寺に、クラスメイトと言えども、わたしは直接的に関わったことはなかった。別に、関わりたくなかったわけではなかったのだけれど、ただ単に関わる機会がなかっただけだ。
 初めてじっくりと見る獄寺の顔に、思わず「キレイだなぁ」と呟いてしまった。キラキラ光る髪の毛とか、色白の肌とか、整った顔立ちとか、そういうの含めてわたしは女として獄寺を羨ましく思った。まじまじ見ているのもなんだかアレなので(覗き見しているみたいで)、わたしは自分の用をさっさと済ませて夕日が沈む前にお家へ帰ろうと決めて、自分の机を探る。「・・・あれ、ない。・・・ああ、そっか」自分で自答自問を繰り返して、今日席替えをしたのだと気付く。全く、最近物忘れが激しくてどうしようもない。
 わたしは、今日新しく自分の席となった窓際の机を見やった。と、そこには獄寺が。わたしの席で、すやすやと気持ちよさそうに眠っているのだ。(あ、れ・・・。わたしの席で、なんで寝てる?)


「ご、獄寺・・・」


 起こすのも癪だったけれど、このままじゃわたしが帰れないし、それに第一獄寺をずっとこのまま寝かせておくわけにはいかない。わたしは、もう一度「獄寺」と呼んで、指でほっぺをツンツン突付いてみた。すると、わずかに獄寺の瞼が動いて、わたしはもう一度「獄寺、起きて」と言った。
 ハッと気付いたように目を開けて、勢いよく飛び起きた獄寺はわたしの顔を見てひどく驚いたような焦ったような表情を向けた。あ、やっぱ起こさないほうが良かったんだろうか。でも、それじゃあわたしがプリントを取れなかったし。それに、下校時刻もちょっと過ぎてしまっているし。と、なんだか走馬灯のように言葉が頭のなかで溢れた。


「お、おまっ、なんでここにいんだよっ!」
「え、・・・っと、忘れ物、取りに来ただけだけど」


 獄寺は口をぱくぱくさせて、わたしはまるで金魚みたいだと思った。そういえば、夕日のせいか獄寺の顔がやけに赤いように見える。こんな姿、見たことないわたしは思わず、ぶっと噴出してしまう。きっと、こんな間抜けな獄寺、クラスの女の子たちは見たことがないのだろう。そう思ったら、なんだかヘンな優越感に浸ってしまった。
 獄寺はわたしが笑うのを見て、「笑うなっ!」と声を荒げた。獄寺って、もっとツンケンしているイメージがあったのだけど、実際はそうでもないらしい。案外と、可愛らしい部分もあるのだ。百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだと思った。


「でね、そこ、わたしの席なんだけど」
「!!ち、ちがっ!べっ、べつに間違えただけだっつの!」
「はいはい、わかってますってば」


 獄寺は観念したように潔くそこから身を引くと、わたしは「ごめんね」と呟いて、机の中に放り込んであった大事なプリントを取り出す。それをすばやく折りたたんで、カバンの中にしまい入れると、わたしが獄寺を見やる。まだそこから動く気配のない獄寺を不思議に思いながら、わたしはカバンを肩に掛けた。「それじゃあわたし、帰るね」と告げると、わたしは獄寺に背を向けた。「おう、じゃあな!」なんてわたしの期待した言葉など、返ってきやしなかったけれど、その代わりに獄寺はわたしの腕を力強く掴んだ。(え!)驚いて、思わず後ろを振り返ってみると、いつ見ても綺麗な顔をした獄寺が何か言いたそうに立っていた。
 「・・・・・」とはじめて獄寺に名前を呼ばれて、わたしの心臓は飛び跳ねた。名前、覚えててくれたんだ、とたったそれだけのことなのに、なんだか無性に嬉しくなった。


「いっ、いっしょに・・・・・帰るぞ・・・」


 明後日の方向を向きながら、むずむずした様子でそう呟く獄寺にまた噴出してしまいそうになって、わたしはその衝動を必死に抑えた。そして、「うん、一緒に帰ろ、獄寺」と笑顔を向けると獄寺は恥ずかしそうにはにかんで、「おう」と短い返事を返した。



( title by Canaletto ) Fin.