# ゆっくりと溶け合う温度 いつもはガヤガヤとして騒がしい教室が、今日に限っては妙に静かで不信感を抱いた。かったるい鞄を机に置いて大人しく椅子に座りながら、周りから注がれる視線にイライラしているとふと声を掛けられた。見たこともない女だった。こうやって、名前も顔も知らない奴に声を掛けられることは多々あったが、こうやって教室までやって来て、というのはなかった。心底うんざりしながら声を掛けてきた奴を見ると、もじもじと何か言いたそうな表情をしていて、その腕には大事そうに小包を抱えていた。周りには数人の女がいて、後ろから急かすように背中を押されているのがこちらからも窺えた。なんなんだこいつら、と怪訝な目で見ていると、中心にいた女は意を決したように俯き加減だった顔を上げて「獄寺くん!誕生日おめでとう!」と上擦った声で言いながら、勢いよく小包を俺に差し出した。 誕生日、おめでとう?その言葉がひどく俺からは疎遠な気がして、受け入れるまでに時間がかかった。教室に何気なく飾られていたカレンダーの日付を確認して、ようやく今日が自分の誕生日だったことに気が付いた。 女の好意を断ろうとすると、後ろから十代目の「獄寺くん!何してんの、早く受け取ってあげなきゃ!」という小さな囁きが聞こえた。それに素直に応じてしまった俺は、小包を受け取るや否、女達は甲高い奇声を発して嬉しそうに教室を去っていった。それを遠巻きに眺めていたクラスの奴らも、敏速に鞄の中から小包を取り出して俺の机に群がってくるのだった。 一体、なんだってんだよ今日は!俺の悲痛な叫びなど、誰の耳にも入らないようだった。 # 地獄のような一日がようやく終わりを告げ、気が付けばHRも終わり教室にはまばらに人が残っていた。だがそれも10分もするとどんどんと数が減っていき、最終的には俺だけとなった。机に置かれた二つの紙袋を見ると、吐き気がした。なんだって人の誕生日なんかをあれほどギャーギャーと騒げるのか、俺には理解できなかった。いや、理解しようとも思えない。到底、俺にはわからねえ世界だ。 目の前を見ると、帰る気力さえ湧き上がってこなくなり、俺は気晴らしにポケットにしまい込んでいた煙草を取り出した。そういえばなんだかんだ忙しくて、今日は一本も煙草を吸っていなかった。よく一日もったものだと感心しながら、煙草に火を点けた。もわっとした煙が立ち上がり、揺ら揺らと当てもなく彷徨い消える煙を見ていると、妙に落ち着いた。フッと嘲笑染みた笑みを浮かべると、自分は疲れているのだと感じた。 「あ、学校で喫煙してる馬鹿がいる」 不意に聞こえてきた楽しそうな声。後ろを振り向くと、ドア付近の壁にもたれ掛かっているの姿があった。楽しそうな声とは裏腹な浮かない表情。眉をハの字に曲げている。その原因は机の上に置いてあるこの紙袋にあるのかもしれない。も俺と同じく、苦い気持ちを抱いているのだと思った。 とは、別段特別な関係などではなかった。言ってしまえば、只のクラスメートだ。それ以下でもそれ以上でもない。只、俺たちの間にあるのは牽制してばかりの感情。「好き」という感情だけだ。 「案の定、想定はしていたけどね」 「なにをだよ」 「その机にあるものだよ」 はふっと笑いながら、壁に預けていた身体を起こした。そうしてゆっくりとした歩調で近づくと、一定の距離を保ちながらは紙袋の中を覗き込んだ。そうすると、うわあと感嘆の声を上げて、「予想以上だ」と小さな唇を動かした。 は暫くの間、白い二つの紙袋を眺めて考え込んでいる様子だった。一体こいつが何をしたいのかちっともわからなかったが、この小包の山を見てげんなりしたのは明確だった。 期待はこれっぽっちもしていないが、も用意してあるのだろうか。俺への誕生日プレゼント。ふと、気になった。紙袋の中身など全く興味も向かないのに、どうしてかの肩にぶら下がっている鞄の中身が気になった。馬鹿なことを考えていると、我ながら思った。「誕生日プレゼント」なんて形だけのもの、俺には必要ないのに。只、俺は───────。 「獄寺」 視線をに向けると、はおもむろにポケットに手を突っ込んで、探る様子もなく素早く引き抜いた。手の先には白い紙。椅子に腰を預けていた俺をそそくさと立ち上がって、を見た。いつになくしおらしい。そんな普段とは違うに戸惑いつつも、ん、と素っ気無く差し出された右手に摘ままれている物を受け取るとは数歩後ろへ下がった。受け取った紙切れには、大きな文字で「なんでもしてあげる券」と書かれていて、それを見た瞬間ぶっと噴出した。こ、こいつ・・・! 「てめーは五歳児かっつーんだよ」 「わ、笑うな!もらえるだけでも有難いでしょ! しかも、それ一週間で有効期限切れるからね!早く言わないと知らないからね!」 胸を張って言い切ったのはいいものの、本人も後悔しているのか頬を真っ赤にしてやらなきゃよかったと顔に書いて、眉を顰めた。そんな姿を見てまたぶっと噴出しそうになったけど、それよりも前になんかこう別のものが湧き上がったというか、芽生えたというか。とりあえず、目の前のしかめっ面にどうしようもなく触れたくなった。────純粋に、抱きしめてやりたいと思った。 俺は野球バカのように頭と身体が繋がっているようなバカじゃなかったはずだったが、今日に限ってそれは直結していたみたいで、思った途端にの腕を掴んでそっとこちらに引き寄せた。突然のことで状況を掴めていない様子のが、胸元で俺の名前を掠れ掠れに呟く。獄寺、と俺の名前を呟く。俺はどうにかおかしくなってしまったのか。そんな声を聞いて、またぎゅっと抱きしめる力を強めるのだ。普段はすぐに消えていくの残り香が、今や俺の脳を支配して離さない。自分でもどうしたものかと思った。こんなに目に見えていっぱいいっぱいなのは、初めてだ。俺も、こいつも。 「────暫くの間、こうさせろ」 絞り出た言葉に、うんともすんとも言わなかったがゆっくりと首を上下させた。そしてもう一度俺の名前を小さな唇で呟いた。考えられないくらいのか細い声で「────獄寺、おめでとう」と微かに呟いたのだ。それを聞いた瞬間、ああ、もうどうにでもなれと投げやりに思った。 只、こいつがおかしいほどにいとおしいのだ。 Fin. |