リンリンリン。今にもそんな音が聞こえてきそうなクリスマスイブの夜、窓の外はしんしんと白い粒が遠い空から降り注ぐ。そんな光景を見て反射的にブルっと身体を震わせたわたしは、何もこんな寒い夜に雪なんて降らなくてもいいのにとロマンチックのかけらもないことを思った。

「ふわぁ……ねむ」

 不意に零れた欠伸に誘われるまま布団の中に潜り込んだわたしは、瞼を閉じると間もなく夢の世界へと落ちていく。リンリンリン、現実と夢とが混沌する中、どこかでそんな音色が聞こえたような気した。







「うわあ!でっかいケーキだ!」

 目の前に巨大なショートケーキがポンと魔法みたいに現れて、思わず瞳を煌めかせて歓声をあげる。チョコレートのプレートには「ちゃん、メリークリスマス」と大きく書かれていた。これ全部わたしが食べていいんだ!と喜びに浸っていると、不意に真っ白な床がガタガタと震え出して崩れていく。うわあああ!と叫び声が反響してわたしはショートケーキを一口も口にしないまま、闇の淵へと吸い込まれてしまった。

「起きて下さい、
「…ん…けーき…」
「クフフ、可愛らしい夢を見ているようですね。……ですが、」

 ────── 早く起きないと…、襲いますよ。
 そう脳に直接語りかけられて、言葉の意味はよくわからなかったけれど、危機を感じたわたしはパッと目を醒ました。辺りはまだ暗く、わたしが寝入ってからそう時間は経っていない。もちろんさっきの巨大ショートケーキはわたしの作り出した夢であって、目の前にはそんなものは無い。ただ、人がいるだけだ。そしてその人とがっちり視線が合っている。現状が掴めないわたしはパチパチと何度かまばたきをし、あまりの至近距離に一瞬声が詰まった。

「おや、残念です。折角貴女の唇を…」
「い、い、いっやああああ!!!」

 泥棒だ!と真っ先に思った。どうにかして犯人の手から逃れようと力いっぱい胸板を押してみるけれど、相手のほうが力も身体も大きくて敵わなかった。
 誰かに知らせようと喉に力を入れる。けれど突然ひんやりとした大きな手で口を塞がれてしまい、わたしの叫び声はその中でくぐもった。覆われた手を振り解こうと引きはがしてみるのだけれど、びくともしない。余裕をかます泥棒はクフフと不気味な笑いを零す。不意に恐怖が身を纏い、小刻みに身体が震え出す。それにすぐに気付いた泥棒は、わたしの耳元に寄りそっと囁く。

「怖がらないで下さい。僕はサンタクロースです。貴女に危害を加えるつもりはありません」

 囁かれた耳がくすぐったくって思わず身をよじる。サンタクロースだと名乗る怪しい人物はわたしの中で泥棒からただの変態へと認識を変えていた。物取りではないことに若干安心しながらも、未だに覆われた口やわたしの上に跨がる犯人から脱出出来たわけではない。わたしに纏わり付く危機はまだ拭えていないのだ。
 クフフとまた意味深な含み笑いを零した犯人は「恐怖に戦く貴女も素敵ですが…少し度が過ぎましたか」と言葉を続けた。不意に覆われていた口元が軽くなって、呼吸が楽になる。離した手を今度は目元にやると、何かを拭き取るように親指を優しく擦り付けた。知らずのうちに泣いていたわたしは、そんな紳士的な犯人の行為に驚いた。

「…なにが目的、なの?」
「そうですね…、僕はサンタクロースなので貴女にクリスマスプレゼントを届けるのが、本来の目的です」
「なに訳分かんないことを…」
「まあ、私情は挟んでいますが、ね」

 名残惜しそうにわたしをねっとりと見詰めた後、サンタクロースだと名乗る男はわたしの上から退いて大きめの白い袋をどこからか持ち出した。大きいと言っても袋の中は空っぽなのかボリュームがなく、ただの布切れのようだった。身動きが自由に取れるようになったわたしは、そんな小さなことは気にせず少しでも犯人との距離を取ろうと上半身を起こしてベッドの隅で小さく縮こまる。

「おや…困りましたね。嫌われてしまいましたか」
「…嫌うもなにも、アンタ犯罪者でしょ。サンタとかなんとか言って…、本当の狙いはなに?」
「…ふぅ、何を言っても信用されそうにありませんね」

 そう言って苦笑いを零した犯人は、白い袋の中から何かを取り出そうとする。既にボリュームの無いその袋から一体何を取り出すと言うのだ、と犯人の行動を凝視する。
 ふと昨日見たサスペンスドラマのワンシーンが頭に浮かんで、恐怖のあまり「ひっ…!」とまたじんわり目元が熱を帯びるのを感じた。犯人が白い鞄から拳銃を取り出すシーンが、不意に過ぎったのだ。ゆっくり、ゆっくりとそれを取り出す目の前の犯人は、まるで恐怖に堪えるわたしを見て嘲笑っているように見えて、悔しくて歯を食いしばった。固く目をつむる。今にも銃声が聞こえてきそうで、収まっていた戦慄が再び現れる。



 名乗ってもいないわたしのを呼んで、じわじわと近付いてくる犯人にびくっとする。不意に左手首を掴まれて、拍子に固くつむっていた目を開けた。いつの間にか嵌められていた薬指に光る物体に、思わず息を呑んだ。一体これはどういう意味なのだろうか。

「気に召しませんでしたか?」
「…いや、あの…暗くてよく見えないし、これはどういう、意味?」
「貴女が考えているような意味、ですよ」

 月明かりに照らされて綺麗に笑うサンタクロースは、あまりに幻想的で一瞬間時間が止まったような感覚に襲われた。すごく綺麗で、目が離せない。
 ふとサンタクロースはわたしの左手を取ると、手の平を合わせ指を絡ませた。ぎゅっと力を込めたそこから熱が帯びる。薬指に光る指輪がとても綺麗で、わたしは思わず頬を赤く染めた。

「わかっていただけましたか、
「……な、なんで、見ず知らずのわたしなんかに、こんな物を…」
「クフフ、今は…ね」
「?」
「そう遠くない未来の…約束の証です」
「や、くそく…」

 薬指の指輪、未来の約束、そんなものを並べられてしまったら嫌でも一つの真実へとたどり着く。わかってしまう自分も憎いが、何より憎いのは目の前で綺麗に微笑む奴だ。これでもかというくらいにわたしを怖がらせておきながら、今度は別の意味でドキドキさせるなんて。…悔しい。けれど胸の高鳴りは、中々鳴り止んでくれない。

、未来で会いましょう」

 頬に温かい感触が一瞬触れて、気付いたら目の前にいたサンタクロースは消えていた。自分の妄想じゃなければわたしは先程彼にキスをされた。けれどその本人はもうどこにもいなくて、すべてはわたしの作り出したリアルな夢だったのかと落胆した。力がへなへなと抜けるようにベッドに倒れ込むと、左手の薬指にキラリと光る物が目に入った。…夢じゃないんだ、と左手を大切に抱きしめる。思い返せば怖い思いしかしていないような気がするけれど、何故だか今は早く彼に会いたいと願う。彼が言うそう遠くない未来で。



フランボワーズ嬢の妄想
執筆:20100123 加筆:20100411