ここ最近、妹であるの様子が可笑しい。普段からぼさっとしていて鈍臭いところはあったが、ここ数日は特にひどい。名前を呼んでもぼうっとして上の空なことが多い上、ドアや柱に顔面からぶつかることもしばしばあった。そんな様子を見兼ねてお袋は、なにか悩み事でもあるんじゃないかと不安そうにに聞いていたが、当の本人はへらへらとムカつく笑顔を浮かべて「大丈夫だよ」と首を横に振るう。お袋は気付いていなかったがほんの一瞬、の顔が強張ったのを俺は見逃さなかった。やはり何か理由があるらしい。 学校でもそのことについてぐるぐる考えていると、十代目に「何か悩み事でもあるの?」と心配されてしまった。慌てて首を横に振り、「実は妹が…」と言葉を濁すと、何処からか沸いて来た山本の馬鹿が「へぇ、獄寺って妹いたんだなー。初耳」と、俺と十代目の会話に割って入ってきた。思わずプチンと血管が切れそうになる。 「てめーには関係ねぇことだ」 「つれーねぇこと言うなって。朝からずっと気になってたんだぜ、獄寺の眉間のしわ。原因は妹だったんだな!」 眉間にしわが寄るのはいつものことだろうが、山本に己の些細な心情の変化を汲み取られたようで、無性に情けなくなった。既に歪められていた表情はどんどん曇っていく。まるで今日の空模様みたいだ。 山本はへらへらと笑った後、突拍子もなく「獄寺って意外にシスコンなのな」と口角を上げながら言う。表情を見る限り悪気があって言っているのではないと分かる。だが、その天然加減が俺をこんなにも苛立たせる。無言のまま腰からダイナマイトを取り出し、俺は大口を開けた。「果てやがれェェ!!!」そんな怒号が教室中に響いた。 # リビングへと続くドアを開けると、そこにはソファーに寝転ぶの姿があった。俺の存在には気付いていないのか、携帯をカチカチとさせて振り向きもしない。それになんとなくムッとして、フローリングの床へスクールバックを落とした。ドサッという鈍い音が響いて、は驚いたのか肩をビクッとさせた。期末考査が近いため、俺の鞄の中は教科書だらけだった。 ようやく兄の存在に気付いた妹は「お、おかえりお兄ちゃん。今日は早いね」と苦笑いを浮かべる。明らかに動揺して咄嗟に携帯電話を自分の後ろに隠したを、怪訝そうに見た。あまりにも露骨過ぎで、笑いそうにもなったが。どうやらここ数日の妹の異変は、アレに隠されているらしい。 どうにかして真実を掴むことは出来ないだろうか。そう考えて、ふと昼間の野球馬鹿の台詞が頭に浮かんだ。 『獄寺って意外にシスコンなのな』 ────── いや、んなわけあるか。考えてみれば、俺がこうして探りを入れているのも可笑しな話だ。端から放っておけばいいのだ。元々俺にはなんの支障もない訳だし、が石に躓いてこけようが、電柱にぶつかろうが、学校の階段から落ちようが、…いや流石に階段から落ちるのはまずいが、とにかく俺には関係ない。もう少し時間が経てば元通りになるはずだ。……多分。 あれやこれやと思考していると、お袋が「ー、ちょっと手伝ってちょうだーい」とキッチンからを呼んだ。携帯をパタンと閉じて「はーい」と返事をしたは、携帯を自分のポケットには納めず、そのままソファーに置いて行ってしまった。こいつ、馬鹿だ。真っ先にそう思った。あれほど隠したがっていた物をわざわざ放っておくなんて、中身を見てもいいですよと言っているのと同じだ。ソファーにドスンと腰を掛けての携帯をちらっと見た。ピンク色のランプがチカチカと光っていて、何かを知らせている。衝動的に『見たい』という欲求に駆られる。俺に隠し事なんて、許さねぇ──────って違う違う。俺には、関係のないことなんだ。いや、でも──────。 心の中で様々な葛藤を繰り広げていると、絶妙なタイミングで隣からメロディーが流れる。正体は言わずともの携帯である。いつまで経っても鳴り止まないそれを横目に、どんどん眉間にしわが寄った。 (気にしてねぇって言ってんだろーがっ!) 心とは裏腹に思わず携帯電話を手に取ってしまった俺は、そのまま画面を開けた。「…山本、先輩…」ディスプレイにはどこかで聞いたことのある名前が刻まれていて、一瞬間固まってしまった。脳裏にあの野球馬鹿の顔が浮かんでしまったからだ。有り得ないと自分に言い聞かせながら、首を横に振るう。あいつらには共通点がない、それに歳だって離れてる。有り得るわけがない────── 。無性に馬鹿げた想像をしていると、自分を笑いたくなった。 暫くすると携帯は鳴り止み、通常の画面に戻った。初めてが携帯を持ったときは、訳もなくメールをしてきたり待受画面を見せに来てくれた。友達と撮った写メ!と言って笑ったが今は懐かしい。可愛らしい笑顔を浮かべたの隣には、山本武の姿があった。それが今の妹の待受画面だった。 「お兄ちゃん、何勝手に見てるの!」 慌てて飛び込んできたは俺から携帯を取ると、急に頬を赤く染めて「……見たよね」と呟いた。暫く放心状態だった俺は曖昧な返事を返して、大事そうに携帯を抱えるを見た。中2にもなれば、彼氏の一人や二人くらい出来ても可笑しくない時代だ。俺の妹だって例外じゃない。だが、相手ってもんがあるだろう。なんで、よりによって、野球馬鹿なんだよぉぉ!! 「……せ、」 「…え?」 「今すぐ消せ。そいつのアドレスとそいつが関係しているものすべて」 「なっ、なんで」 「兄ちゃん命令だ!!!」 「お、お兄ちゃんには関係ないもん!」 「大アリだ!こんな野郎と付き合うってんなら、俺は全力でてめーらを引き裂く!」 取られた携帯をいとも簡単に奪い返すと、素早く山本のメモリとその他諸々を消去した。返してよ!と背伸びをしてせがんでくるに、すべてを成し遂げた後返してやるとは「ない…、ない!」と言いながら携帯とにらめっこをする。当然だ、今消したんだからなと悪気もなく口にすると、はゆっくりとこちらを向いた。流石に怒るだろうかと考えていると、は可愛い顔を少しずつ歪めて、瞳からは大粒の涙を流した。予想外の出来事に、「え、ちょ、なんで、」とあわてふためく。 「お兄ちゃんの…バカァァァ!!!!」 小さな拳が飛んできたと思ったら、それは俺の右頬にヒットした。はうわああんと泣き叫びながら、リビングから出て行ってしまった。残された俺はただ殴られた箇所を押さえて、騒ぎを聞き付けたお袋は「なにがあったの!?」とひどく驚いた表情をしながら俺に尋ねた。思ったよりも力の篭ったのパンチは、頬をピリピリとさせて口内では血生臭さが広がった。お袋の問い掛けに「…知らねぇよ」と呟くと、お袋は困ったと言いたげな表情を零す。 「あなたたちが喧嘩なんて…明日雨でも降るのかしら」 独り言のように呟いたお袋の言葉を右に受け流しながら、少し頭が冷えてきた俺は先ほどのやり取りを思い返してみた。────── 俺のとった行動は間違っていたのだろうか、と。昔から頑なに泣くことを嫌っていたアイツが、糸を解くみたいに簡単に泣いてしまうなんて。考えもしなかった。 熱を持ってきた右頬からじーんと全身に痛みが伝わる。もこんな風に痛みを感じたのかと思うと、胸がぎゅっと締め付けられる。苦しい。まるで最愛の相手に別れを告げられたような感覚にも似ている。あながちあの野球馬鹿が言ったことも間違ってねぇな、と自嘲染みた薄笑いを浮かべて、ポケットから取り出した煙草に火を付けた。「……苦ェ」今まで吸ってきた中で一番まずい一本になった。 マリアの恋人 執筆:20100523 公開:20100720 |