# 「はじめまして、最愛の人。」 灰色っぽい煌びやかな髪を持った長身の彼を何度も見かける。その度いつも友達と楽しそうに笑っていて、他愛のない話で盛り上がっていて、他の景色は全く見えていないようにみえた。だけれどいつも、本当にほんの少しの間なのだけれど、わたしと彼の目が、なにかに惹かれあうように目線が合わさる。別に向こうは意識をして見ているわけじゃないかもしれない。けれど、なんとなく胸がドクンと弾むのだ。それが妙に恥ずかしくて、なんだかモヤモヤして、わたしはスッと目線を逸らしてしまう。 話したい、なんて滅相なこと思わない。少しの間目が合って、それで、いいなって思う程度の気持ちなのだから。そんなこと思ってしまっては、逆に彼に申し訳ない気がする。だからこれから先も、わたしは彼の名前を知ることはないだろうし、話す機会なんてきっとない。それは少しさみしくて、心が窮屈になる想いだけれど、それはそれでいいと思う。所詮彼にとってわたしは、大勢いる中の名前も知らない先輩なのだから。 図書委員とは、本当に面倒くさいものである。下校時刻まで、ただひたすらカウンターに座って誰かが来るのを待つだけなのだから。わたしの友達は「先に帰る」と言ってもう学校にはいないし、このほこり臭い図書室の中にはわたし以外誰もいない。ちらほらと利用する生徒もいていいはずなんだけど。ここは余程人気がないのか、いくら待っても人が訪れることはなかった。 とりあえずすることがないので、机の上にポンと無造作に置かれた数冊の本を片付けようと思い、席を立った。どれもこれも洋書で、タイトルすらどういう意味なのか理解できない。もっと勉強しなくちゃね、と苦笑を浮かべながら、ズラーッと並ぶ本棚の迷宮に入り込めば、すぐそばに洋書コーナーみたいなものがあったのでそこに戻そうと思ったのだけど。・・・・・背が、届かない。30センチくらい、背が足りないのだ。な、なんという、屈辱感。改めて自分が小ささを思い知らされて、がっくり肩を落としながら、カウンターにあった脚立をそそくさと取りに戻った。 「よいしょ、っと」 丁度いいくらいの位置に脚立を置いて、床に積んで置いた洋書を腕に抱えるとその上に乗っかった。背が届くのを確認すると、一冊の洋書を片手に持ち、元の場所に返そうと思ったのだけど。不意に「あの、すみません」と誰かに声を掛けられたので、図書室には自分以外誰もいないと思い込んでいたわたしは大げさすぎるくらい驚いて、腕に抱えていた分厚い洋書も手に持っていた洋書も派手に床へと落としてしまった。しまいには、身体のバランスを崩して、真後ろにある本棚に頭から激突しそうになってしまった。が、それを支えてくれたのはさっき声を掛けてくれた少年で、ふと顔を見ればわたしがよく見知っている馴染みのある顔だった。「驚かせてすみません、大丈夫ですか」と初めて聞く彼の声に、妙に心地よいなにかを感じた。すごく優しくて、透き通る声。 慌てて飛び起きて、彼から離れると彼は苦笑いを浮かべていて、「いきなり、すみません」ともう一度申し訳なさそうに謝った。そんな彼の気遣いに気付くことができないほど、混乱していたわたしは、彼の言葉にまともに返事することができずにただ触れられた部分が熱くて、高鳴る心臓を押さえるのに必死だった。きっとこの先話すこともなければ、こうして面と向かって顔を合わせることもないだろうと確信していたわたしは、この状況がどうしても飲み込めなくて、彼の困った顔をただただ信じられないような顔で見ているだけだった。うそだ、うそだ、そんな気持ちが込み上げてくるのにもかかわらず、この出会いになんとも言えない嬉しさを感じていた。なにか言わなくちゃ、突然そのような衝動に駆られた。 「あ、あの、助けてくれて、その、ありがとう」 「あ、いえ、もとはと言えば俺が先輩を驚かせてしまったからで・・・」 本当にすみません、彼は三度目の謝罪を言った。けれどそれも頭の中には入ってこなくて、わたしは思わず驚いて、彼の顔を凝視してしまった。─────どうして、わたしの名前、知っているんだろう。そんな素朴な疑問から、わたしの中におかしいくらい期待の気持ちが膨れ上がって、しまいには破裂しそうになった。─────わたしも、知りたい。彼の名前を知りたい。そんな欲求がポツンと生まれて、それがわたしを支配した。 彼はわたしの様子に気付いてか、しまったと言い出しそうな口を手で覆って、目線を明後日の方向にやった。そして、諦めたのかそれとも開き直ったのか、彼はふうと息を吐いてわたしを見た。真っ直ぐな瞳にわたしだけを映して、優しい声で囁く。 「俺、先輩のこともっと知りたいって思ってます。・・・迷惑ですか?」 首を縦に振られるわけがなかった。わたしは必死に首を横に振って、「迷惑、じゃない」と消えてしまいそうな声で言うと、彼はほっとしたような安堵の表情を浮かべた。相変わらずほこり臭いこの場所は、今やわたしにとっては楽園にも思えた。こんな奇跡って、本当にあるんだなあ。なんて、他人事のように思うのだった。 「あの、名前は・・・」 「あ、そうですね、まだ自己紹介していませんでしたね」 すみません、彼はそう言って柔らかく微笑んだ。そして、流れるように「鳳 長太郎です」と口ずさむと鳳くんは右手をスッとわたしの前に差し出した。迷わずその手を取ると、鳳くんは頬を紅くさせて嬉しそうにはにかんだ。そんな姿を目の当たりにして、わたしも思わず笑みが零れた。 よろしくね、鳳くん。知らないはずだった彼の名前を囁いて、わたしは鳳くんの体温や手の大きさを感じる。こんな風に彼と触れ合える日が来るとは、全く思っていなかった。─────知りたい。わたしも、鳳くんがわたしのことを知りたいと思っているのとおんなじくらい、君のことが知りたい。そんな想いが全身から溢れてしまいそうだった。 ( title by Canaletto ) Fin. |