先ほどまで騒がしかった部室内が急に静けさを取り戻して、わたしは机の上に広げてあった部活日誌に集中を向けた。今日のメニューや部員達の様子、反省などを事細かく書かなければならない部活日誌というのはいつもわたしをひどく困らせた。こういうのっていつになっても慣れへん…と少々弱音を吐きながらも今日の練習の様子を思い出しながら、書き連ねていく。 (んー…そうやなぁ…) 「今日も小春とユウジがきもかった。ネタがイマイチやった。」とか「金ちゃんの有り余るパワーを勉強にも向けてほしい。」とか「白石が今日も絶好調そうで安心した。」とか。まあ一人ひとりの今日の様子を書いていくだけなのだけど、どちらかと言えばわたしが今日感じたみんなへの感想(ダメだし)になってしまっている。そのことにいつも書きあがった部活日誌に向かって苦笑をするのだがオサムちゃんが「ええこと書いてあるやん!」といつも褒めてくれるので、わたしは今日もみんなのダメだしを部活日誌に書き収める。 「謙也がいつも以上にうざかった、っと。─── よしっ、できた」 出来上がった部活日誌を横目に腕をぐーっと天井へ伸ばして身体を解す。パイプ椅子から立ち上がってもう帰ろうと考えていると、ふと窓の外の景色が目に入った。外はもうお日様なんておがめるはずもなく真っ暗で、風が強いのだろうか窓がカタカタと震えていた。そんな様子を見てわたしは無意識のうちに顔を顰めた。やっぱ、帰りたないわ…と少々うな垂れながらも、付けっぱなしだったヒーターをオフにしてロッカーに掛けてあったコートを手に取る。そして、それを着ると鞄の中にしまい込んであったマフラーと手袋を着用する。これで準備はオッケーだ。そう意気込んで部室の外へ足を踏み出してみる。 「さ、さむっ!!!!」 あまりの寒さに愕然とした。 辺りは真っ暗で頼れるのは道端に仁王立ちで佇んでいる街路灯だけだった。わたしはその光を頼りにどこまでも果てしなく続く暗闇を早足に駆け抜けて、急いで校門へと向かう。だがその途中で予想外の人物に出会う。 「……あ、」 思わず声を漏らすとその人はこちらを一瞥してから、何事もなかったかのように他のことに集中する。きっと音楽を聴いているのだろう。この距離からでもシャカシャカと音漏れが響く。わたしは少し駆け足で彼のそばに近寄ると彼は「いっつもこんなに帰り遅いんですか。大変っスね、マネージャーも」と興味もなさそうに呟いた。 「財前、アンタこんなとこで何しとんの」 「…友達待っとるんスわ」 「友達?ぶっは、財前ってそんなん待つタイプやったっけ」 思わず噴き出してしまうと目の前にいる財前はムッと渋い顔をした。そんな様子を見かねてわたしは「ごめんごめん」と一応謝ってみるのだが、表情は相変わらず険しいままだった。そんな財前に「友達待っとるんやったら、部室で待っとったらよかったのに」と言うと、「あー、それもそうっスねー」とどうでもいいような生返事を返した。いつものことだから気にはしないけれど、やっぱ生意気や!とついつい心の中で思った。 ─────ビュウウウウウ。先ほどまで大人しくしていた風がまた勢いを取り戻したかのように、わたしたちに襲い掛かる。わたしは身を縮めて北風が去っていくのを待っていたが中々風は止んでくれなかった。もうそろそろ帰ろう。財前には悪いけど先に御暇しようと思って凍えた口を震わせながら必死に言葉を紡ぎ出す。「じゃ、じゃあ、わたし先帰るわ…」そう言うと財前は「あー…」と煮え切らない様子でこちらを見た。もしかして先にそそくさと後輩を残して去る先輩を疎ましく思ったのだろうか。…そうやないとええんやけど。 「あー…と、俺も帰りますわ」 「は?友達は?」 「もうどうでもようなってきたんで」 「ふうん、そっか。─────あ、そやったら、一緒に帰る?」 いきなり思いついたことをなんの躊躇もなく口に出してみる。そういえばこうして財前とまじまじと話したんって初めてかもなぁ…と思考を巡らせながら、財前と視線を合わせてみる。少しバツが悪そうにしているのがどうも引っかかったけど「……まあ、しゃーないっスわ」と素直に応じてくれたので良しとした。 とりあえず二人そろって歩き出してみるけれど、どうしようもない違和感。隣に歩いているのが財前だからだろうか。答えは定かではないがなんとなく不思議な気分だった。真横にいる財前が寒さのせいか口元に手をやって、はあーっと息を吹きかける。白い靄が空へと消えていく様を見て、わたしは自分の両手にすっぽりはまっている手袋を見た。少し大きめの赤い手袋。それをなんの躊躇いもなく取った。そして言葉足らずに「ん」と剥ぎ取った手袋を財前の前に突き出すと、彼は怪訝な顔をした。 「まあ、わたしのじゃ小さいかもしれんけど」 「いいっスわ。余計な気ィ遣わんといてください」 「何を言うとる後輩のくせして。先輩命令や、これはめなさい」 とても嫌そうな顔をしてから渋々手袋を受け取ると「やっぱ小さいっスわ、これ」とブツブツ文句を垂れながら右手だけにそれをしっかりとはめた。そうしてもう片方は手に収めることもなく、わたしの前に差し出してきた。「ん」と先程のわたしのように言葉足らずに。その時彼の指先がわたしの手にちょこんと当たった。 (財前の手、めっちゃつめたい…。─────でも、) なんとなく財前なりの気遣いが窺えて思わず笑みが零れた。「何笑てるんですか、ほんまキショイっスわ先輩」という憎まれ口にさえも、なんだか心がくすぐったくなった。まあ、多少引っかかる部分もあるけれど。 渡された手袋を素直に受け取って左手にはめこむと不意に右手が寂しくなった。もう冷え切ってしまった右手にはあーと熱い吐息を吹きかけると一瞬だけ手の筋肉が弛緩したような気がした。 「……先輩」 財前が低い声で呼んだ。さっきまで隣に歩いていた財前の姿が少し後ろにあることに驚きながらも、「どーしたん?」と問いかけるとまたバツが悪そうに頭を掻いて声を絞り出してこう言った。 「その、なんや……寒いことやし、いっちょ手でも繋いどきます?」 その言葉に一瞬息を詰まらせたわたしだったけれどすぐに答えは出た。返事をする代わりに手袋をはめていない右手をそっと差し出すと、財前は少しはにかんでから空いている左手でわたしの右手を握った。何故だか財前が愛おしくて愛おしいくてたまらなくなった。ぎゅっと繋がれた右手が少し温かく感じられて、嬉しくなった。 #ラピスラズリの迷いこんだてのひら 執筆:20100111 |