# シュレーディンガーの猫によろしく


 とりあえず今日は学校が休みなので、のんびりぐーたらなんにもしないでいようと心に決めて、再度ベッドの中に潜り込んだ。まだ起床してから時間が経っていないせいか瞼がトロンと重くなってくる。不意に視線を上げてみると、丁度壁に掛けてある時計とがっしり視線が合わさった。時計は午前11時を指そうとしている。・・・・・え、もうこんな時間だったんだ!少し寝すぎたかもと小さく呟き、ベッドに潜り込んでいた身体を無理やり放り出す。のんびりぐーたらするとは言ったものの、これはさすがに私生活に支障をきたす。そう感じたわたしは、んーっと大きく伸びをして、両手で頬をパチン、パチン叩いた。
 すっかり目が覚めたわたしは何か腹に食べ物を詰め込もうとして、台所に立つ。立ってみたのはいいけれど、今から手の込んだ朝ごはんなど作れる気力なんて当になく、あきらめてテーブルに放ってあった食パンを掴み取る。ベッドに戻ってテレビを付けて、それを食べるけれど案の定薄い塩の味しかせず、わたしの食欲を半減させる元になった。あーあ、なんかおもしろいことないかなあ、なんて考えていたときだった。「ピンポーン」なんていうありきたりなチャイムがわたしの鼓膜に届いたのは。


「はーい」


 どうせ新聞の勧誘か地上デジタル放送云々の奴等だろうと腹に決めて、なんのためらいもなくドアに手をかける。ガチャという音を聞いて無意識に扉を押すと、そこにはやたら笑顔の眼鏡をかけた青年が立っていた。「え、?」「・・・あ」というか、わたしの知り合い、クラスメート、席斜め前の、わたしが結構気になっている人、つまり要するに忍足侑士がそこに立っていたのである。


ってやたら聞き覚えがあるな思たら、お前さんやったんかい」
「え、え、お、おおおお、忍足・・・?!」
「そないびっくりすることかいな」
「ま、まままま、待ってちょいタンマ!なんでアンタこんなとこに・・・!」


 わたしの目の前に立っている青年、いや少年は無駄に笑顔を輝かせて、「隣に引っ越してきた、忍足侑士です。これからよろしゅう頼んます」白々しくもそう言ってのけた。未だ状況を把握できていないわたしをよそに忍足は、わたしをまじまじと見出す。全身をこまなくチェックして、コホンと喉をならす。その行動一連をぼーっとしたまま見ていたわたしは、ようやく自分が今どのような格好で好きな人の前に出向いているのかを知って、かああと全身が熱くなった。な、なんつー格好で人様の前に現れてるんだコンチクショウ!報われない想いが心の中で交差した。穴があったら入りたいと生まれて初めて思った。


「・・・まあ、寝起きのところ邪魔して悪いけど、これ、受けとってや」
「え、なに、コレ・・・」
「なんやオヤジがえらいガミガミ言うもんでな。まあ、お隣さんこれからよろしゅう頼んますっちゅー意味や」
「そ、そっか・・・。では・・・、大層なものをいただき、誠に、誠に、ありがとうございました」
「うん・・・まあ、なんも言わんけど、普通にしとった方がええで。そないな使い回しせんでも」


 忍足が差し出してきたのはお歳暮のときとかによくもらう長方形の箱包みだった。なんだか気を遣わせたのかと思ったけれど、そうでもないようだった。早く包みを開けて中身を確かめてみたいと思う反面、もう少しこうやって忍足との会話を広げていたいという気持ちをあって、なんだか妙にそわそわした。こんな広くもない綺麗でもないボロアパート(いや、そこまでボロくないか。ごめん、大家さん)に、引っ越してきた隣人が忍足だなんて、未だ信じられず目をぱちくりさせているわたしだったが、やっと地に足がついてきたみたいだった。前を向けば忍足がいる、学校とおんなじような感覚にくらくら眩暈がした。呆けている場合ではない、と強く思った。


「あ、あのさ、忍足!」
「ん、なんや」
「いやー、そのー、なんていうか、まあ、あのー、えーっと・・・」
「・・・言いたいことまとまってへんのかいな」
「いや・・・だからつまり、お隣さん同士仲良くしようね!ってこと!」


 あれだけ言葉に詰まっていながら吐き出た言葉はどこにでも置いてありそうなもので、少し肩を落とした。いつもは言いたいことなどズバズバ言う結構さっぱりした性格が持ち味だと自分でも自負していたというのに。何故気になる人の前ではこうなのだろうかとしばしば気が病んだ。でもそれもつかの間。忍足から紡ぎ出された言葉を聞けば、すぐに持ち直した。・・・恋のチカラて、案外侮れない。気恥ずかしいけれど、そんなことを思った。


ってほんまおもろいなぁ。俺、そないな子好きやで」


 そう言ってふっと微笑んだ忍足の笑顔を見て、ああ、やっぱ好きだ!って再認識させられた。



( title by fjord ) Fin.